2013年の2月21日に留学生だった小山田 亮さんがクイーンズで、ニューヨーク市警のパトカーに撥ねられ亡くなってから7年の月日が経ちました。
亮君は24歳という若さで亡くなりました。
警察は、事故の調査結果を同市警の運転していたパトカーは事故当時、サイレンとライトをつけていたと主張していました。
小山田亮さんがパトカーに撥ねられた場所は住宅街だったのにも関わらず、パトカーは猛スピードで走行。
警察側は無灯火だった事を認めず、パトカーは赤色灯をつけて緊急走行していた、そこに小山田 亮さんが飛び出して来たために人身死亡事故になった。 その言葉はまるで小山田亮さんに過失があったかの様に聞こえた。
だが、2015年2月23日にDMV(陸運当局)で開れた聴聞会で、「2年前の事故の日、あの事故の瞬間は赤色灯をつけていなかった。」と初めて公の場でパトカーを運転していた警官が認めたのです。
亮君の過失でパトカーに撥ねられ亡くなったかの様に言い続けた警察。 家族は2年もの間、懸命になってその真実を追求していました。
亮君が亡くなった直後に日本から家族がニューヨークへ来た日、警察が人として一言でいい、亮君を撥ねてしまった事への謝罪が有ったなら、家族の気持ちはどんなに救われた事でしょう。
日本から夢を抱いてニューヨークへ留学に来ていた24歳の小山田亮君の21日は祥月命日。 亮君の分まで精いっぱいにニューヨークでみんな生きて欲しい。と心から願います。
小山田さんの裁判が和解終結する事が、2017年5月30日に法廷に報告されました。そのことが幾つかのメディアでも書かれました。(記事の下に添付しています)
和解に至った経緯について、ご家族は、緊急走行であったと警官が主張すればその信憑性は問われないという現状、そして警官に広範囲な自由裁量が与えられているこのシステムの中では、多額の裁判費用を被害者側が全て負担しない限り、事故の責任を追求し続けて行く事が不可能だという現実を、受け入れざるを得ないと話しておられました。
私も、この4年以上の間、ニューヨークにも足を運び、訴訟とご家族の様子を見てきました。 今年上旬もニューヨークでの法廷に同行しましたが、裁判のシステムを前に無念を感じざるを得ない言葉が、裁判官からも聞かされました。
今回の決断は、4年以上に渡り、不当に命を奪われた息子・弟のために戦ってきた小山田さんたちにとって、苦渋の決断であったことは言うまでもありません。
現地のストリーツブログ紙には、小山田さんが公開した事故調査専門家による報告書の全文が添付されています。
記事には、イラルディ警官の走行していたスピード・走行位置が事故の要因である事が、専門家により報告されたという事が書かれています。
市警は事故当初の報告で、イラルディ警官が911コールに対応しており、35~39マイルで赤色灯を点灯し走行していたところに、小山田さんが車両の前方に飛び出して来たと主張していましたが、この事故調査専門家の報告書によると、これらの市警の主張が真実ではない、という事が書かれています。
http://help-oyamada.hatenablog.com/




0 コメント